Zombies(ゾンビーズ) Odesey&Oracle CBS Years 1967-69 #2

前回に引き続きThe ZombiesのOdessey & Oracleの2回目。
前回は30周年記念のMono盤を聴いての感想を述べたが、期待が大き過ぎたせいか思ったほどではなかった。
ただし、このStereoとMonoの2イン1を手に入れたことで、とりあえず欲求不満は解消できた。
ここで、Odessey & Oracle発売後の動きを整理しておこう。
アルバムに先行して2枚のシングルが67年に発売されたが不発。
68年3月にシングルとLP発売の告知と同時に解散を発表。
ここで大ヒットしても再結成はありえないと明言。
当然プロモーションなし(できない)。
68年4月5日シングルTime of the Season / I'll Call You Mine発売
68年4月19日LP Odessey & Oracle 発売
CBS LP 63280(Mono) CBS LP S63280(Stereo)
MonoとStereoのどちらが売れたかは興味があるが、そもそも売れなかった。
The Beatlesも2枚組LP The Beatles(White Album)を68年11月22日発売しているが、Mono盤が併売されたのはこれが最後となった。
そして69年には英米の音楽業界はMono盤の併売を中止した。
58年以来のStereo再生装置の普及によりMonoは市場から駆逐された。
そう考えると、CBSの重役が「Stereoミックスはないのかね?」と言ったは、いじわるでも何でもなかったのだと思う。経営陣としては至極当然な判断だ。
逆に、解散したバンドの作品なんてよくもまあ発売したものだ。
その点はオメデタイと言うか、良心的(これはたぶん無い)と言うか…。
ここで救世主Al Kooperが登場するのだが、情報が錯綜している。
まずは情報を整理しておこう。
・AlはBlood, Sweat & Tearsのリーダーだったが、(そのワン・マンぶりから)68年2月21日1st LP Child Is Father to the Manの発売後にバンドを追い出された。
↑00年リマスター盤の国内盤(ボーナス3曲追加)。
何と国内盤は廃盤状態だ。
・AlはColumbia Recordsのハウス(スタッフ)・マネージャー兼アーティスト(もしくはA&Rマン)になった。
・Alはバンドを離れてヒマになったので68年5月にMike BloomfieldやStephen StillsとSuper Sessionを西海岸で録音。(Mikeは「眠れない、ゴメン」の書置きを残して失踪し、急きょStephenが呼ばれた。)
↑03年発売のリマスター輸入盤(ボーナス4曲追加)。
・AlはThe Zombiesのファンであった。
・Alは英国を訪問し40枚のLPを米国に持ち帰った。
・AlはOdessey & OracleをColumbia Recordsの社長Clive Davisに推薦したが、これがA&Rマンとして最初の仕事だった。
・英国CBSは米国Columbiaの傘下であり、既にCliveはOdessey & Oracleを知っていたが、先行シングルの不振から米国発売はしない方針だった。
・また、Columbiaは67年10月に英国よりも早くシングルCare Of Cell 44 / Maybe After He's Gone (Columbia 4-44363)として発売しようとしたが、9月のプロモーション段階でキャンセルした。よりによって独房にいるのが女性ということに問題があったのかな?彼女は何の罪で収監されたのだろう…、反政府運動や性犯罪が連想された時点でアウトだ。(レーベル面の写真が30周年盤のブックレットに掲載されているので少量市場に出回った可能性はある。)
・CliveはAlに押し切られてシングルの発売を決意するが、リスク・ヘッジのため傘下のDate Recordsで扱うことにした。 以下が確認できたDateのカタログとチャート・アクション↓
①Date 2-1583 The Will-O-Bees
It's Not Easy 68年2月17日95位
②Date 2-1592 Peaches and Herb
The Ten Commandments Of Love 3月16日55位
③Date 2-1603 Peaches and Herb
United 6月15日46位
④Date 2-1604 The Zombies
Time Of The Season / I'll Call You Mine
⑤Date 2-1612 The Zombies 68年6月発売
Butcher's Tale (Western Front 1914) / This Will Be Our Year
⑥Date 2-1613 Bobby Cole
Mr. Bo Jangles 8月10日79位
⑦Date 2-1623 Peaches and Herb
Let's Make A Promise 11月16日75位
⑧Date 2-1628 The Zombies 68年11月発売 69年2月再発売
Time Of The Season / Friends Of Mine 69年3月29日3位
⑨Date 2-1638 The Arbors 69年1月17日発売
The Letter 4月5日20位
※疑問1 ボックスZombie Heavenの分厚いブックレットに英米のディスコグラフィーが掲載されており、④が68年3月発売と記載されていたが、カタログに載ったとしても本当に発売されたのか?
※疑問2 Al KooperがClive Davisに発売を強力プッシュしたのはいつか?
この2つの疑問は一緒に考えないと解決しない。
Peaches and Herbの②が最高位55位に達するのが3月15日であり、ここまでの間に次のシングルを準備することはあっても、発売してブレーキをかけることはないはず。
②がチャートを下り始めるのが3月22日だから、3月下旬に③の発売は有り得た。
でも、予告とか宣伝もなしに突然店頭に③が並ぶなんてことはあるのかな?
もしも、並んだのなら③と④が連番となる整合性は取れていることになる。
ところでColumbiaではなくDateでの発売はAlがごり押しした結果だったはず。
AlがBlood, Sweat & Tearsを追放されるのは1st LP発売の68年2月21日からSuper Session録音の68年5月の間だから、3月に渡英していれば40枚のLPを持ち帰ることは可能だ。
そうなるとAlが持ち帰ったのはテスト・プレスということか?
68年1月1日にStereoマスターは完成していたので、即刻Columbiaに売り込みが図られた可能性はある。
それとBlood, Sweat & Tearsの1st LPの録音は67年12月20日で終了しているので68年1月以降Alはヒマでぶらぶらしていたのかも…。
いや、Al主導のアルバムなのだからさすがにそれはないし、契約をたてにColumbiaからはプロモーションを迫られたはずだ。
※答え としては、Alが3月上旬から中旬に渡英したのならカタログNo Date 2-1604が採番された可能性はある。ただし、発売はされなかった。
?????
と言いたいところだが、個人的な推理はこうだ。
AlがA&Rマンの道一本で生き抜こうとしたのなら3月の可能性はあったかも…
その後のAlの行動から考えてもそれはないと思う。
何よりも短いがBlood, Sweat & Tearsの1st LPのプロモーショナル・ツアーを行ったと00年リマスターCDのライナー・ノートでAl自身が書いている。
たぶん、Alが登場する前からカタログNo Date 2-1604は採番されていたが、Care Of Cell 44と同じくキャンセルになったのだと思う。
キャンセルの理由は以下のとおり。
Columbiaへの売り込みの際にバンドは解散状態にあったが正式な解散はしていなかった。
Columbiaは英国よりも早くシングル発売を決定し、カタログNo.が採番された。
ただし、先行シングルの不振から傘下のDateからとなった。
3月の発売を前に、(バンドを渡米させて)プロモーションの依頼があったが、バンドが既に存在しないことが発覚した。(「ごめんなさい、チョット前まで仲良く録音してたんですが、もう一緒にはやらないそうです。」)
Columbiaは安全策を取ってキャンセルした。(「バカヤロー、始めから知っとったな!何とかなると思って隠しとったな!でも、ウソはついてないか…、訴えれんかー、そのうえ傘下企業だし…。」)
Columbia側のプライドのある回答はこんなところか。「不測の事態でもあり残念だが、当社としては英国発売の反響を精査したうえで発売するか検討したい。(必ず発売しろよ!同じく中止なんて許さん!)」
こうして考えるとCBSの重役は、なかなかやるもんだねー。
良心なんてあったはずがない。
あったのは大西洋をはさんでの音楽業界の駆け引きだけだ。
でも、後に引けなくなって英国では4月に発売することとなった。
おかげでOdessey & Oracleは「お蔵入り」を免れた。
英国でのセールスは大不振であったが…。
これらの動きは68年1月から3月であり、Alが平行して動くことは無かったと思う。
※答え Alが渡英したのは68年4月か5月で、進言により⑤が米国で6月に発売されたのなら⑥との整合性も取れていると思う。
尚、リスク・ヘッジのためColumbiaが傘下のDateを利用したのは事実だが、Alが登場する前から決まっていたことになる。

この曲はAlがプッシュしたとの噂があったが、最新のライナー・ノートでは「アルバムの中で、この曲だけは止めておけ」と思っていた曲が、Columbiaにより選ばれたとのこと。(どうもベトナム戦争が泥沼化してゆく中で反戦をテーマにした曲が選ばれたようだ。)
合わせてLP Odessey & Oracle(Date TES 4013)が米国ではStereoのみで6月に発売された。

でも、このジャケットのトリミングはすごいね。
OdysseyのスペルがOdesseyとミス・スペリングだったから?
オリジナル・ジャケットが素晴らしかっただけに、デザイナーのTerry Quirkはがっかりしたことだろう。
そして、68年11月にシングル⑧が発売され、一旦は店頭から消えたがラジオから徐々に火が付き、69年2月には再発売され大ヒットとなった。

↑この日本盤シングルのジャケットもすごいな。
「こう来ましたかー」って感じ。
日本語のレタリングも「バ~ン!」って感じがして好きだな。
それでは本題である11年盤の音質へと行きたいところだが、続きは次回で…。




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